感じたこと

話していて、嫌いな人

つい先日、2年近く、毎月、定期的に集まっている人たちと大塚の居酒屋に集まっていた。

最近、マンネリだな。
と思いつつも、付き合いもあるからと続けていたけど、
やっぱり、つまらい。

何が、つまらないかというと、話しの内容が2年前と変わらない。
話をしていて、過去に話し合った課題というか、問題について、解決されていない。
そして、課題があるのも関わらず、悩んだ形跡がみられない。

だから、2年以上も、話をしているから、
少し話をするだけで、相手の中身というか全体像が透けて見えてしまって、
僕の中で、相手に対して興味をなくしてしまって、
それ以上、話をする気がなくなってしいる。

ゴルフの話題、女の話題、ゲームの話題、子供の話題、家族の話題、スポーツの話題と
テーマについては、何でもいいのだけど、
どれも本気で取り組んでいないのが、すぐに分かる。

話を聞いていると、本に書いてあることや、他人の言葉を繰り返しているだけで
中身が無くてペラペラでつまらない。

結局、悩んだ形跡がないということは、自分の経験に基づいて語っていないと思う。

なぜ、そんな事をするかと考えてみると
「カッコ付けたい。自分がすごいと思われたいのかな?」

それなら、それで、構わないから、話した瞬間に、
底が透けて見えるレベルでは、語らないで欲しい。

「もうちょっと、頑張って見栄を張ろうよ。」と

人間として興味深くない。興味が持てない。

どうやら、僕は、底が見えない人や
自分の知らないテーマを深いレベルで、提供してくれる人に、興味があるらしい。

ただ、底が見えないのには、2種類あって、
・底は、浅いけど、濁っていて、底が見えない場合と

・澄んでいて、それでも深くて底が見えない場合。

この区別が分かっていれば、少し話せばだいたい
この人が、自分の経験で語っているのか、借り物の言葉なのかが、
感覚で、分かってきます。

気が付かないのは、話をしている本人だけ

結局、友人関係については、
「この人と一緒に居ると居心地良い」という関係は、求めていない。
ということに、今更ながらに、気がついた。

だから、パーティーとか飲み会に、行ってもまったく楽しくないし、
いつも、端っこで、浮き上がっている。

僕の感覚では、
男同士で、一緒にいて、居心地が良いというのは、何かキモい。いや、とてもキモいと思うし、

男と女で、一緒にいて、居心地が良いと、恋愛になってしまうから、
奥さんだけで充分だろう。

その場に留まるために、自分から、必死で何かのテーマを提供しないといけない。

その時は、無理でも次に、会った時。
それでも、無理ならその次と。

そのためには、経験を積んで、知識を付けて、体を鍛えて
ステージを何とかして、上げていく努力をする。
そうしないと、相手にとって、僕の方が、つまらない人間、無価値な人間になってしまう。

悩んだ形跡がない人間は、つまらないし、魅力的ではない。

僕の中では、悩んだ形跡がない人間は、3つに分類されている。
・悩みがでたら、目をつぶってごまかす人間。嘘つきや事なかれ主義。
・悩みがでたら、他人にすべてを押しつける。他人に依存して、他人から奪う側の人間。
・自分のできる範囲でしか、生活をしないから、悩みがない。

いずれの人たちも、10年経っても、何の進歩も見られないだろう。
社会に対して何かの価値を提供できるのだろうか?

時代や社会環境やインフラが変化し続ける中で、社会に対して、価値を提供し続けることができるのだろうか?

僕は、
こういった人間は、無責任だと思っています。

なぜかというと
例えば、僕には、奥さんと子供の家族がいます。
会社も有って、お客さんもいて、スタッフもいます。

自分自身が、社会の中で、価値を失ってしまって、
こういった自分と関わっている人たちに対して、責任を果たせるのだろうかと。

もちろん、みんな一人ひとりが、自立した人間で、僕一人の責任ではないけど、

自分の責任だと思う範囲を少しずつ広げる。
そして、実際に責任を取れる範囲を少しずつだけど広げていく。
はっきりいって、この作業は、とても苦しいし、
年単位で、時間が掛かるし、精神の作業だから、成果が物理的に目に見えることもない。

では、どうして、苦しい作業を続けているのか。

僕の場合は、奥さんやスタッフとか、環境とか、頑張って続けても、周りから求められ
責任に、応えるために、
「でも、まあ仕方がないか。」と思って、諦めて続けています。

結局は、これが「悩む」ということであり、
この繰り返しが、「経験」になり「悩んだ形跡」になって、
その人から、にじみ出てくるもの。

そして、僕も、悩まなくなったら、
上のステージの人からは、
つまらない人間の一人になってしまう。

結局は、悩みながら、心が折れないように
たまに休みを入れながら、
諦めて、生涯、やり続けるしかないのだろう。

コミュニケーションギャップ

「最近、角田さんは、アクセルを踏みすぎてませんか。
大丈夫ですか。」

と別の人経由で、そう言われていると聞いた。

その人とは、これからの社会の流れと今後の戦略。
現状で、僕が行なっている戦略の話をしました。

その人にとって、将来に渡って、とてもメリットがある話なので
2時間以上、しっかりと分り易くお話をして
その時は、理解をして頂けたと思っていました。

実行するに際して、もっともリスクが少ない最小限のやり方も
説明しました。

そして、理解して貰えた。きっと実行に移す。と思って別れたのですが、

「最近、角田さんは、アクセルを踏みすぎてませんか。
大丈夫ですか。」

「理解して貰えた。」とおもった瞬間に

「最近、角田さんは、アクセルを踏みすぎてませんか。
大丈夫ですか。」
と考えて話を聞かれていた。

この事を聞いて、
「伝えるって難しい。」

そして、
「自分が伝わった。理解して貰えた。」と思っているのが、幻想であり、
自分がその時、感じた印象との隔たりが、こんなにもあるのかと驚いた。

話した内容については、ここでは、書けないが

その人は、
僕が、その分野では、専門家であり、複数の人間のサポートを
受けながら、実際に成果が出ているし、それを証明している。

にも関わらず、こんなにも開きがある。

この感じ方の開きは、どこから来ているのだろうかと、考えてみた。

「自分の考えは正しい。間違っていない。」
言い換えると「自己正当化」であり「エゴ」

この前提は、誰でも持っている。

おそらくこの考えは、「自我」を形成するために、必須の要素のため、
この要素を否定して、他人の考えを受け入れることは、
「自我」の崩壊であり、「過去の自分の否定」を招くことになり
大部分の人にとっては、「自分と過去の否定」は
苦痛だから、受け入れ難いのだと思う。

理解はできるけど、個人的には

「そんなものは、捨ててしまえ」とも思う。

すべてを捨てろということではない。
大切なモノは、絶対に捨ててはいけない。

僕が言いたいのは、
「その部分のあなたの考え方は、自分にとって大切なモノ又は、実際に成果のでている考え方なのでしょうか。」

と言いたい。

僕もその人も、大した人間では無いし、生涯を通して、大した人間になれるかも分からない。

だから、今持っている
価値観すべてを「正しい」と考えて、大切にするのは、どうかと思う。

人生で、一旗上げてみるなら

海外物販を始めるにあたり、色々と調べてみた。
大きく分けると、3つのパターンがあります。

  • 日本の商品を海外で、販売する。
  • 海外の商品を日本で、販売する。
  • 海外の商品を海外で、販売する。

そして、物販の仕組みを作るにあたって、必要な要素を大きく5つに分けてみました。

 

  • 商品リサーチ : 取り扱う商品を決める。
  • 法務の確認 : 取り扱い商品に関する法律の確認。
  • 仕入 : 商品を安定供給するシステムを作る。
  • 流通 : 商品をお客様まで届けるシステムを作る
  • 販売 : 商品を販売するシステムを作る。
  • 決済 : 代金回収のシステムを作る。
  • 顧客対応 : 顧客対応のシステムを作る。

 

この5つの要素に基いて、現状、もっとも簡単に実現できそうなのが、

海外から個人輸入をして、日本国内で売る方法。
恐らく、最初のショップは、1ヶ月以内に立ち上げができそうです。

何故かというと
5つの要素のうち、僕が経験が無いのは、仕入と流通のみで、
他の要素は、過去の経験と現在のシステムを使って、対応できるからです。
また、仕入と流通については、個人輸入程度であれば、
現代社会では、様々なリソースを安く簡単に使うことができるので、
時間が掛からずに、構築可能です。

これは、何故かというと、過去に、形として、残せるレベルで、その時、その時に、一生懸命に取り組んでいた結果です。

もちろん、将来、物販をやろうとか、その時は、、一切思っていません。
現代でのビジネス成功ための秘訣の一つは、

「ネット上に存在する様々なリソースを柔軟に活用する力」だと思います。
これが、できるのとできないのとでは、
コストも時間も10倍以上の差が、でてくるでしょう。

そして、何よりも大切なことは、
「まず、はじめに、自分の手を動かす。自分で、経験を積む。」

これが、重要です。
口だけ動かしても、スキルは身に付きません。
スキルが無ければ、結局は、ネット上のリソースを組み合わせることができないので、
ビジネスを構築することはできません。
この意味が腑に落ちないときは、

まずは、今の仕事を気持ち悪くなるくらいに、取り組み。
気持ち悪くなってもやり続ける。
そうすることで、ある日、突然、次の段階に進むタイミングが訪れます。

 

人生に影響を与えた4つの行動

僕個人の近況としては、8月に入ってから、環境の変化がとても激しくなっています。
7月まで、次の展開を考えていたところ、急に道が開けた感じで、
どんどんと、新しい情報と次のステップへの新しい課題が出てきています。

 

どんな変化があったかというと

  •  奥様と子供が中国から帰ってきた。
  •  輸出入の興味のあるスキームが見えたため、本格的に海外物販をやることに決めた。
  •  海外の投資案件の情報が、色々と入ってくるようになった。
  •  会社で、初めて銀行借入をしてみた。
  •  大富豪とは、どんな存在なのか? 何をしているのか。どんな仕組みを持っているのか。その一部分が少し腑に落ちた。

今回、やってみたいなと感じた課題は、
5年から10年程度の時間を掛けて取り組んでいくことになりそうです。
今後の引きこもり型のライフスタイルも変わりそうです。

そして、この取り組みによって、恐らくステージを2つほど上げられそうな予感がしています。

 

具体的に、どんな行動が、今回の結果につながったのか、考えたところ、

  • 安定することに対して、安心感ではなく、停滞感と不安を感じた。
  • 直感で、必要だと思ったので、英語の勉強を初めた。
  • ブログを書き始めることで、物事をより考えるようになった。
  • ブログを書くことで、記憶がアウトプットされるので、頭の中が整理されて、やることや、自分の目的が鮮明になった。
  • また、自分について、知るためのきっかけとなった。
  • ブログを書くことで、物事をより注意深く見るようになった。
  • ブログを書くことで、書くことへの抵抗感が無くなり、メールなども積極的に送るようになった。
  • 直感で、「行きたくないけど、必要かも」と思ったセミナーと集まりに、出席したことで、新しい焦点と人間関係のきっかけが生まれた。
  • セミナーの中で、気が付いた課題をすぐに、実行した。
  • お金が、掛かっても、事前に、気になった情報をストックしておいた。
  • 気になった情報を再検討する時間を設けた。
  • 生活習慣を朝型に、切り替えた。
  • 運気を下げていると、感じた作業や物や事柄を整理した。

これらをシンプルにまとめると

  • 気になったこと。違和感を忘れずに、残しておいたこと。
  • 直感に従ったこと。
  • 文章を書くことで、自分の頭の中をアウトプットしたこと。
  • 具体的な行動。

この4つが、今回の結果につながった気がします。

石川遼で、6割後半かな

最近、英語の勉強をしています。

一番、最近、英語を勉強したのが24歳からの2年間。
その時は、仕事の合間を縫って、
週1回のレッスンをしていました。

その頃は、仕事と税務、労務関連の勉強などもやっていて、
とても、忙しくて、英語の復習に割ける時間が無くて
結局は、ほとんど、上達できませんでした。

今から、15年ほど前のお話です。

レッスンの場所は四ッ谷。
その当時の最大手イーオンに通っていて、
英語だけで、年間50万円近くのお金を使っていました。

それに対して、今は、月額6000円程度で、マンツーマンで、
毎日、受講しています。

フィリピンの先生だけど、僕のレベルでは、どの人も同じ
本当に、信じられないほど、便利になっています。

英語の勉強に関していうと
もともと、落ちこぼれだったので、中学校、高校とまったくと言ってほど
英語の勉強をしていなかったため、やはり、苦労しています。

なんで、英語を始めたかというと、
今のまま得た情報や勉強のやり方で、得た知識や経験の延長線上で、
頑張っても、これ以上は、伸びないと感じたからです。

もうちょっと、簡単にいうと、
今までと同じ方法で、脳みそを刺激していても、
同じ箇所しか、脳みそが刺激されない。

ということです。

そこで、コミュニケーションの基盤となる言語を追加したら、どうだろう。
苦手意識を持って、やりたくなくて、逃げていた英語の再挑戦しています。

やり始めて感じたことは、
「やらなければ、いけないことは、やらないとだめだな。」
「どんなに、逃げていても、いつかは、課題として現れる」

ということです。

そして、今、考えると小学校、中学校で、勉強していたことは、将来、成長しながら生きていくための
「基盤となる必須の知識」の導入部分だったと。

英語にしても、数学にしても、音楽、歴史、道徳、国語にしても、
その当時、
「将来、絶対に役に立たない。」と思って、ろくに勉強をしていなかった科目
今、考えるともっと、勉強をしておけば良かったと思います。

なぜかというと、
ある一定レベルを超えて
成長をして、世界を広げていくために、新たな勉強や経験をしようとすると

内容がどんどんと抽象的になっていき、
当時、役に立たないと思っていた知識の断片が有機的に、結びついていたり、
構造を理解するための前提として、そららの知識が必要になるものがほとんどになります。

近視眼的に、生きていくのなら、英語も音楽も数学も必要無いけど、

ある一定レベルを超えて、世界を広げるためには、
英語、数学、音楽、歴史、道徳、国語と、その当時、一番必要ないと思っていたものが
実は、どんどん重要になってきています。

「あのとき、もっと一生懸命にやっておけば良かった。勉強をやり直したい。」

と感じながら、
今は、小学校、中学校、高校時代の「利息が乗ったツケ」を少しずつ払っている最中です。

言われれば、当たり前のことだけど

 「その時、やらなければ、いけないことは、その時、やらないといけない。」

 「その時、やらなければ、後で利息が付いて、また、やらなければ、いけなくなる。」

ということ。
そして、僕が思うのは、

「その時」と「やらなければならないこと」この二つを、

 「その時」を知ること。
 「やらなければならいこと」を知ること
  そして、「やること。」

これは、あとで、客観的に自分を見つめ直して、初めて気がつくことであり、
その時に、考えてできることでは、無いということです。

では、どうすれば、良いか。
それは、簡単で、日々、全力で生きるということ。

もっと、簡単に言うと、
「その日のうちにできることは、その日のうちにすべてやる。」

そして、これを習慣にするということ。

「その日のうちにできることは、その日のうちにすべてやる。」

これを「絶対に続ける」というの
意思の「強さの度合い」が、

将来の成長と成功の度合いを決めている気がします。

イチローで、おそらくは、9割前後。
石川遼で、6割後半かな。

ちなみに、今の僕は、3割程度の達成率のような気がしています。

まだ、まだということです。

人に胸を張って言えるだけのスキルを身につけ、すべては、それからである。

最近は、仕事の流れとやり方を変えている。

何故かと言うと、今までの延長線上で、頑張っても、成長できないところまで
来ていると感じたからだ。

今までは、実務中心でやってきた。
実務中心とは、

口よりも、まず、手を動かす。
できるものは、すべて自分でやる。
できないものは、調べてまず、自分でやってみる。

こんなことを、休み無く
22歳から、38歳まで、続けてきた。

休みなくとは、本当に長期の休みなども、取らず
休みは、週1日だけで、夜は、勉強で、遊びに行くこともない。

やってみて、感じたのは、結果として良かったけど
しかし、やりすぎである。

こんなには、やる必要は無かった気がする。

何故かというと、自分で、内に内に入っていく作業になるため
外部との交友が絶たれるからだ。

人間関係も含めた、新しい情報や経験が不足してしまった。

役に立つ人間であるが、人間としては面白味に欠けている気がする。

結果として、他の人が、とっつきにくいということであり、

また、自分の考えられる範囲の中で、やってきたため、
やはり、考えることやアイデアが小さい気がする。

他との交流が無いことから、自分の主観の外には、でられていない。

その結果、自分の考えられることが、限界で、外部との交流による変化を得られなかっため、
成長のスピードが、鈍ってしまった。

そんな理由から、個人的には、実務については、現状レベルでは、ほぼやり切ったので、
出来る限り離れるようにして、

今まで、苦手で、逃げてきた。
人間関係や語学と、活動範囲を広げることを今後のテーマにしていこうと考えている。

現時点での結論としては、
最初に、役に立つ人間に成る。
それから、外部との情報や経験の交流と自分自身の実力を上げることを
繰り返していく。

これが、理想のような気がする。

期間としては、3年から5年程度で、一人前になり、
それからは、時間とのバランスを取りながら、外部と交流をしていく。

なぜかといえば、役に立たない人間と付き合いたいと思う人間は居ないし、
自分自身のスキルが低ければ、環境から得られる情報や活動範囲が減るから
実際は、たいした経験を積むことができない。

質の低いインプットは、質の低いアウトプットしか生まない。
質の低い人間は、質の低いインプットしかできない。

また、質の高いインプットができても、自分のレベルが低ければ、質の低いアウトプットしかできない。

したがって、最初は、人に胸を張って言えるだけのスキルを身につけ、
自分自身の人生を信頼出来るようになることが重要だと考える。

やはり、すべては、それからである。

ツキの無い人間とは、他人のツキを奪う

ツキが無い人間をと一緒に仕事をすると、自分のツキが下がる。
ツキが無い人間をチームに入れると、チーム全体のツキが下がる。

ツキが無い人間は、やるべきことをやっていない。
または、できていないから、ツキが無い。

ツキとは、外部から受ける目に見えない信用と信頼である。

そのため、そういった人間に任せた仕事は、どこかに大きな、隙がある。

隙があれば、信用と信頼を損なう。

その隙とその隙の繰り返しが、全体を少しずつ歪ませてゆき、信頼の有る人間やチーム全体の信頼を確実に奪っていく。

そして、それは、長期的に少しずつ現れてくる。

また、長期的に落ちた信頼を短期的に回復させることは、できない。

ツキの無い人間とは、付き合ってはならないし、
チームに入れては、ならない。

相手のツキを見極めることは、とても重要。

健康は、人生のすべての基礎である

ここ、数日間は、腸の調子が良くなくて、体の中が気持悪い。
その延長線上で、
「体を休める」という言葉が頭に浮かんだので、少し掘り下げていく。

僕は、今まで、体や頭が疲れたら、銭湯やスパに行って、リラックスをして、よく寝る。å
といった行動を取っていたが、
今日、道を歩きながら、考えていると、この方法が間違っていることに気がついた。

何が、間違っているのかというと、
「体は、一つのパーツと素材では、構成されていない。」
人間の体は、複数のパーツと素材でできている。

まず、素材だが、大まかにいうと、
「液体、カルシウム、タンパク質、その他もろもろ」

パーツについていうと

表面的なものだと、肌、背骨などの骨格、筋肉

内臓的なものだと、脳、目、舌、耳、歯、神経、のど、肺、気管、食道、胃、大腸、小腸、肝臓、膵臓、脾臓、膀胱、肛門、生殖器
血管、血液。

これらのパーツは、素材違うし、機能もまったくことなる物体だ。

これらの複雑に絡み合って機能している肉体が、
スパに行って、リラックスをして、睡眠をとるだけで、正常に、回復するわけがないと。

そう考えると、各部位によって、適切な栄養や、適切な休ませ方があることに気がつく。

逆に言うと、体が疲れているというのは、厳密にいうと、上記のどれかの部位や素材の一部であったり、
その組み合わせを総合して、
「体が、疲れている」と表現しているだけである。

経験で分かることだが、食べ過ぎ飲み過ぎで、体が疲れているときは、睡眠をとっても、回復しない。

この場合は、胃と腸の消化機能と吸収機能を使い過ぎているため疲れているのだから、

疲れをとるには、消化機能と吸収機能を使わないこと。

そのためには、回復するまで、まず、「食べない。」
次に、「水」以外は飲まない。
消化機能と吸収機能を極力使わずに、負担を掛けないことが、必要である。

また、マックのような体にとって、毒素に近い食物を食べれば、胃と腸での消化、吸収が難しく
働き続けるため、胃と腸が疲れることとなる。

さらに考えてみた。
「疲れる」とは、どういった状態をいうのだろう。

身体の各部位は、素材も役割も異なるので、身体の各部位によって、「疲れる」といっても
状態が異なってくるはずである。

そう考えると
体が疲れたら、漠然と疲れたと考えずに、どこが疲れたかを正確に把握して、
適切な回復方法と、適切な栄養を補給する必要があるだろう。

私たちが生み出す、すべてのものは、私たちの体と世界を接点にして、体をを通して、
この世界に影響を与えているから実現することができる。

私たちは、肉体がなければ、この世界に、存在することができないから、
世界に接することができない。だから、この世界に影響を与えることができない。

したがって、肉体が無ければ、何も生み出すことはできない。

人間は、肉体が無ければ、この世に存在することができない。

したがって、

「健康は、人生の中で大切」といった認識程度では、まったく不足である。
「健康は、人生を生み出すすべての元」である。

健康以外にも、大切なことは、いくつかあるが、人生において、健康の優先順位は、おそらく、1,2を争う。
そのくらい、大切にすべきものの一つだろうと、
僕は思う。